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たぬき先生の本名「毛利子来」の「子来」というのが、世間で色々と取りざたされているようだ。
よく「小児科の町医者をやっているから、子どもがたくさん来るように」という商売根性でつけたペンネームだろうと言われる。
しかし、これはレッキとした本名。親父がつけてくれたものだ。
そう、たぬき先生が生まれた頃は、家父長制の全盛時代だから、子どもの名は父親がつけるものだった。それに、たぬき先生の母親は、産後すぐ重い心臓病で死にかけていたから、とても子どもの名前など考える元気はなかった。
そして、親父は、べつに、ぼくを小児科の医者にしたいと願ってつけたわけでもない。
では、なぜ「子来」とつけたか、その理由は分からない。
実は、ぼくが物心ついたときには両親とも死んでいたから、確かめようがないのだ。
けれど、たぶん、以下の意味なのだろう。
中国の「四書五経」といわれる古典の一つ「詩経」の中に「霊台」というタイトルの詩があって、その中に子来という成語が見られる。
「霊台」とは歌舞音曲を演じる舞台の意味。ま、コマ劇場とか南座みたいなものだろう。それを文王という王様が作ろうとした。
そんなとき、王様とか領主とかは、民百姓をタダで駆り立て酷使して作らせるさせるのが普通なのだが、そこが文王は違っていた。王の財政で労務者を雇って建設しようとした。しかも、霊台を作る目的からして、民百姓を楽しませようということにあったのだ。
だから、それを伝え聞いた民百姓が喜び勇んで、王のもと建設作業に集まってきた。そして、たちまちのうちに作り上げてしまった。その民百姓たちの様子が、まるで母親を慕ってスカートにまつわりつく子どもみたいだった。まさに「子が来る」状態だったわけだ。で、その詩は「為政者はこのようでなければならない」ということを歌い上げたものになっている。
ーーおよそ、そんな由来らしいが、たぬき先生としては、たいそうな名をつけてくれたものだなあと、ありがた迷惑な思いでいる。
げに恐ろしきは「親の子への期待」である。 |